台東区根岸にある西蔵院境外仏堂不動堂

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境内に狸塚

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 落語中興の祖、名人といわれた三遊亭円朝(1839 年~1900年) が書き上げた「根岸お行の松 因果塚の由来」に因んで不動堂の運営に当っていた地元の有志がシャレで作りました。

昭和60年、講の集まりに志ん生、円生の『お若伊之助』のテープを持ち込んだ人がいて、せっかくこういう噺があるんだから塚を作ってしまおうと意見一致。塚作成案から5年後の平成2年5月28日、不動堂の境内に紅白の幕を張って、「狸塚再建披露式」が行われました。因果塚だとイメージが暗いので狸塚にし、再建と銘打ったのは、江戸時代にあった長い歳月の間に失われ、再建したという思い入れから。落語が実話になりました。塚は秩父の赤玉の高さ70cmの自然石で、となりに御影石の夫婦狸を配置されました。

御影石を彫った夫婦狸

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根岸お行の松 因果塚の由来

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噺は、日本橋横山町栄屋という生薬屋に一人娘のお若、年が18で栄屋小町と評判の美人。今までお稽古事はいろいろやらせてもらったがまだ一中筋を習ったことがないので習いたいという。そこで町内の鳶頭に組の初五郎の口利きで、菅野伊の助という師匠にお稽古にきてもらえるようになった

ところがこの伊の助、年が26でめっぽういい男。いつしか二人はいい仲になってしまう。これに気付いたお若の母親は頭を呼び30両を伊の助に与え手を切ってもらう。そとてお若は根岸のお行の松のそばで剣術の道場を開いている伯父の長尾一角の家に預けられる。

お若は伊の助に逢いたい逢いたいと思い焦がれながらある日庭を眺めていると、垣根の向こうに立っているのはまぎれもない恋しい伊の助。それから毎夜、ひそかに逢い引きを重ねているうちにお若は妊娠をする。

それに気付いた一角が頭を呼び、昨夜も伊の助が忍んでまいったが、手切れ金の30両は間違いなく伊の助にわたったであろうな、と確かめられる。カッとなった頭はすぐに両国の伊の助の家にとんでいって詰問するが伊の助から逆に(ゆうべは頭と一緒に吉原で遊んでいたじゃありませんか)とやりこまれ、頭はまた根岸へとんでかえり訳を話すが一角に(お前が酔って寝ている間に伊の助がカゴで根岸と吉原を往復したのではないか)といわれ、また両国へとんでいく。(ゆうべは二人で飲み明かしたじゃありませんか)といわれ訳がわからなくなる。

さてはと一角、その夜忍んできた伊の助を種子島銃で撃ち殺す。ところが殺されたのは大きな狸であった。あまりにもお若が伊の助を恋しがるので年経た狸がたぶらかしにきたのであった。やがて日が経ちお若は狸の双子を生む。これを葬って立てたのがお行の松のほとりの因果塚である

(現地由来板より)

御行の松不動尊 狸塚
東京都台東区根岸4丁目9-5
入谷駅から徒歩10分、日暮里駅から徒歩11分