狸橋とは南麻布4目13番先から白金5丁目1番先に至る古川に架かる橋で1978年9月竣工・、長さ17.1m、幅4.7m
橋のたもとに由来碑が立ちます
狸橋の由来
むかし、橋の南西にそば屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が、翌朝は木の葉になったといいます。麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。
-昭和57年 港区-
狸穴下に「作兵衛蕎麦」というおいしい蕎麦屋がありましたが、いつの間にか廃業していました。名の起こりは、徳川の大奥を荒らしまわった狸穴の古狸が、内田正九郎という侍により討ち取られ、その霊を蕎麦屋の作兵衛が奉祀したことから始まったと伝わっています。狸を葬った狸塚は広尾にあったともいわれています。この狸橋周辺は江戸期に狸蕎麦とよばれていたので古狸はこちらに葬られていたのかもしれません
狸橋と由来碑
都営バス停・天現寺橋から徒歩2分・駐車場なし
狸橋の由来
むかし、橋の南西にそば屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が、翌朝は木の葉になったといいます。麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。
-昭和57年 港区-
狸穴下に「作兵衛蕎麦」というおいしい蕎麦屋がありましたが、いつの間にか廃業していました。名の起こりは、徳川の大奥を荒らしまわった狸穴の古狸が、内田正九郎という侍により討ち取られ、その霊を蕎麦屋の作兵衛が奉祀したことから始まったと伝わっています。狸を葬った狸塚は広尾にあったともいわれています。この狸橋周辺は江戸期に狸蕎麦とよばれていたので古狸はこちらに葬られていたのかもしれません
狸橋と由来碑
都営バス停・天現寺橋から徒歩2分・駐車場なし
コメント