徳島県阿南市福井町 金刀比羅神社。阿波福井駅より徒歩で15分程度のところにあります。この神社には博学狸の伝説があります。お邪魔したのが日の沈む前ぎりぎりだったので撮った写真が暗くなってしまいました。

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参道陥没のおそれがあるので遠回りして車道側から進んできました。

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本堂左側手前に博学狸こんぴら三本足松雲斎が祀られている祠があります。

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「博学狸金ぴら三本足松雲斎之祠」と彫られています。

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狸像のお腹に「金」の文字が。
阿波狸合戦では金長が田浦の太左衛門とともに福井の金ぴら狸を相談役としました。そのことに関係あるのでしょうか この狸さんは。

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お酒がお供えしていました。
学業成就・商売繁盛・心願成就・病気平癒・安産・良縁に霊験があるそうです。

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三田華子著「阿波狸列伝 通天の巻」より

阿南ずい一の景観、阿波の松島といわれる橘湾の入江に近い下福井の在。福井川の清流が、浣々(そうそう)と音をたてて、すいらんの影を洗い、したたる緯の松に吹く風は、琴(こと)を弾じて千年の昔を語る静寂境、松琴山には、海のしずめの金刀比羅宮が鎮座する。しんしんと生い茂る境内の森の奥に、二本のヒノキの大樹があり、一匹の大狸が住んでいた。非常ないたずら狸で、里に出ては人間をたぶらかし、悪事?を重ねていたが、金びら淵に出て通りかかる人間を待ちうけていた。

ところが、その夜は通りかかった相手が悪かった。村でも指折りの鉄砲の名人、茂庄兵衛(もしょべえ)とは気がつかず、いつものように小石のつぶてを投げつけると、かねて、こうした機会をねらっていた茂庄兵衛は、鉄砲を肩にかついだ後ろ向きのまま引き金をひいた。さすがの古狸も、名人の手練にかかっては、さけるひまもなく、後ろ足をうちぬかれて、命からがら、がけをよじのぼって逃げて帰ったが、とうとう後ろ足は一本短くなり、びっこをひいて、三本の足で歩くようになった。以来、里人は金びらの三本足と呼ぶようになったという。

その後も、社頭にあらわれては、参拝人をなやましていたが、ある夕刻、金刀比羅宮の神宮、森飛騨守(ひだのかみ)丹平が、夕神楽(ゆうかぐら)を奏上(そうじょう)しようと、神殿に登ると、白髪、白ぜん、狩衣(かりぎぬ)姿の森丹平が、神前に威儀を正して座っている。
おどろいたのは、あとから昇殿した森丹平。座をしめ「おのれは、何者じゃッ」

声をはげまして問いかけたが、間髪を入れず「わしは、森飛騨守丹平じゃ」とすましたもの。
ぴたりと、その前に「おのれ、化けも化けたり。飛騨守丹平に化けるとはおこがましい。早々に退散せいッ」
「はッはッは。何をぬけぬけと。おこがましいのはそちらじゃ。神罰をうけぬうちに、退散せいッ」

堂々とやりかえして、たじろがぬ面だましい。これから二人の飛騨守が、世にもめずらしい狸問答をしたと伝えられているが、果たしてその内容が、森神官のあとに伝えられているかどうか?
問えば答え、せまれば問いかけ、流水の弁をふるってシッポを出さぬ三本足を、じつと見すえた丹平は、やおら形を正した。

ぐっと、右手に第(しゃく)をにぎりしめ「はははは、いかに上手に化けても畜生の浅ましさ。神の意志にはかなわぬと見えるわ-。これッ。その笏のもち方は何じゃ。手がちがうぞ」
と大喝一声、きめこんだ。

とたんに、うまく虚をつかれたニセ神官は、向きあった神官の笏のありどころを見るなり、あわてて左手にもちかえ、とうとう馬脚ならぬ狸脚をあらわし、おそれいって化けの皮をぬいだ。

悪事をすることが、知恵にたけ、人間でいえば、頭脳明晰の三本足は、今までの非をさとされて、さっぱりと素行を改め、それから後は、左手に笏をもち、神官姿であらわれては、金びらさまの神使いとして人を助けることに専念しはじめた。それとともに、毎夜、森丹平の屋敷に通い、軒下にうずくまって、丹平が村人に講じる学の道をおさめ、ついに一代の博学狸になった。自ら、松雲斎と号して、丹平神官が留守のときは、夕神楽だけを奏上して、立派に神前の奉仕をおこたらず、行ないすましている。



   
戦後途絶えていた子供神楽「博学狸こんぴら三本足狸問答」は2003年保存会が結成され毎年行われるようになりました。

狸問答の記事
保存会の記事

金刀比羅神社