徳島市南出来島町のマクドナルドの横の公園の一角に鎮座。祠の周りには木々が生い茂っており、神々しい雰囲気を醸し出している。狸は犬が苦手なので木に「犬立入禁」の札がかかっている。

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立派なお堂に石台・木製の祠。頭上には提灯2つと狸を模した民芸品が2つある。

鎮座しているのは新町川公園だが、すぐ横の藍場浜公園は毎年11月の3日間、阿波の狸まつりの会場となる。40年以上も続いてる盛大なお祭りである。

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阿波狸奉賛会看板

戦災前までは出来島の製氷会社横の大楠の根元に鎮座していた。戦災で焼け、道路拡張工事で今の新町川の佐古大橋の緑地帯に移された。商売繁盛、交通安全、家庭円満に祈願をすれば霊験あらたかといわれ、その筋の信者も多く、参詣者のたえることがないのはこのためである。

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公園内のいたるところに狸の石像がある。

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楠大明神あれこれ豆知識(๑•̀ㅁ•́๑)✧

以下阿波狸奉賛会の山本文男先生が豆狸通信に寄稿された内容です

南出来島町字石場の木谷木材の敷地内に室町時代からあったと推定される楠があった。幹周り3メートルほどの大木で中心は空洞になっており、幾世代も前から古狸が住んでいると信じられていた。根元には祠があり楠大明神として崇拝し、毎年夏と秋に祭りを行っていた。楠大明神の好物はしおせんべいと味噌せんべいで、芸者さんがよくお供えしていた。

しかし昭和20年7月の戦災で祠と楠は消失。その際、夢で楠の洞穴から出てきた老婆に橋の下へ行けと告げられ、橋の下に逃げていた長老のおばあさんは命拾いしたという。

戦災終戦後、道路工事により残っていた根を取ったが全部は取り切れず一部は地中に残ったままである。

都市開発の工事を実施中にお宮付近で不可解な交通事故が多発、災害も数多く発生し近隣住民は不安に苛まれた。昭和33年9月10日、東・南・北出来島町の町民大会を何回も開き話し合いがされた。話し合いの末、狸を元の位置である新町川公園、佐古大橋詰めに鎮座させることを当時の原県知事に申し立てを行った。承諾され9月26日に遷宮賛助会が発足、山本さんは当時事務局長を勤められた。14万4600円(83名)の寄進によって10月20日元の位置に新社殿を建立、御神霊を移し、遷座された。山本さんの母上は昭和34年4月東祖谷山村から十八丁(約2km)の山道をの苗を背負って、バスや電車を乗り継ぎ、楠大明神を参詣。そのときの棕は立派に育ち、今もなお神木として交通安全を見守っている。

戦前は木谷氏の敷地内にあって、個人的に祀っていたが水商売の人などもよく拝みに来た。
毎年秋祭りを行っている。かつては夏祭りもあった。
南出来島1、2丁目の町内会の人が祀り、世話人が1人いる(阿波の狸文化)

楠大明神
徳島県徳島市南出来島町2丁目4付近