徳島市北沖洲・LAWSON北沖洲店をマリンピア方面に進むと右手側に隠元大明神の祠がある。信号機があるところを右折する。

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壁には目印として高須の隠元の画が描かれている。

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信号機を右折したところ。こちらをしばらく進んで右折しUターン。

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Uターンして進むと左手側に隠元大明神のお社が見えてくる。

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隠元大明神の祠(社)

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自然石に「隠元大明神」と刻まれている。

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大きな狸像が二匹鎮座。小物狸たちも。後ろには飯原先生の隠元狸絵。

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こちらは旭大明神と刻まれている。隠元大明神の別名らしい。

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隠元狸保存会による由来板

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むかし此の浜は松林と葺原が二キロメートルも続いた荒波の打ち寄せる海岸の淋しい松並木であった。此処にたくさんの狸が住んでいた。中でも変幻自在の茶目っ気の多い狸が居った。高入道に化けるのが得意で吉野川もひとまたぎするほど大きくなる事も出来たと言う。又疾風のように早く走る事もあったらしい。村人達はこの狸を隠元狸と呼んでいた。
金長狸と六右衛門狸との合戦のときには双方の陣営から「加勢を頼む」と度々の要請にもなかなか動かなかった大物であった。

後日金長方に味方をし大層な働きをして阿波の狸の中でも指折りの豪傑となった。また隠元は子分を持つのが嫌いでそのくせ頼んで来ると何でも聞いてやり面倒をよく見てやった。隠元狸さんは魚が大変好物で、漁師達はとれた魚を与えたり、相撲をとったりして機嫌をとっておくと何時も大漁であった。願い事は良く聞いてくれるそれはそれは義侠心の強い愛すべきお狸さんであったと言う。

※隠元大明神保存会(沖洲四丁目自治会の人中心)が管理している。

※毎年阿波の狸まつり前後(10~11月)に神職を呼び例祭を行う。以前は3月31日に行っていた。(2000年阿波の狸文化)

※旭大明神は元々松原の狸だったが、祀る人がいないので持ってきたという証言あり(隠元狸とは別狸なのか?)

※以前は自然石のみの祠だったが1998年12月に隠元狸保存会により立派な堂宇が建立された。天狗の絵馬は平成3年10月奉納。

※また隠元とは隠元豆の由来となった隠元禅師のことである。

※南沖洲には隠元狸の子分の番屋の八兵衛狸が祀られている公園がある。

※八兵衛以外にも長道のお絹、金光丹などたくさんの子分がいた。

※いつお参りに来ても綺麗なしきびがお供えされている。地域の人々に愛されている狸さんである。

隠元大明神
徳島県徳島市北沖洲4丁目3-73
堤防上