阿波狸の番付にも大関級の扱いになっている「赤岩将監狸」
祀っている祠(岩窟?)は山川トンネルの手前東の山中にあります。

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国道193号線から山川町赤岩の方へ進み、道の途中に分かりにくいですが入口らしきものが。

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ここから入山するのが正しいか分かりませんが、途中まで岩が点在していて足場になっています。

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途中から急な登りになりますが、登りきると石積みが見えてきました。右側から回り込みますと

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資料で見た岩板を積んでいる祠らしきものを発見

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後ろからです

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正面から。中に木製だったであろう祠がありましたが、粉々になっていました。

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赤岩将監狸の由来

国道193号線を南へいくと、上り勾配のところに山川トンネル隧道がある。その手前東側の山中に赤岩将監大明神の岩窟がある。畳四枚ほどもある大岩で、下部に小さな穴があり、ここから出入りしたのであろうが奥行きは分からない。

赤岩とは土地の名前、将監は近衛府の判官である。この狸、その名に恥じず、数ある阿波狸の中で一、二位を争う勢力を持っていた。郷土研究家の番付を見ると、大関や張出し横綱になって、小松島の金長狸・津田の六右衛門狸と肩を並べている。次に阿波町伊沢の大関・鎮十郎狸と争った話をしよう。


昔々、吉野川を隔てた阿波町伊沢の鎮守の森に鎮十郎という狸がいた。多くの部下を引き連れての大勢力、南岸の赤岩将監とは両雄並び立たず、ついに衝突、大戦争となった。鎮十郎勢、時に戦利なく、鎮守の森を撤退の危機となった。そこで、讃岐屋島に使いを走らせ、有名な「屋島の禿狸」に応援を求めた。屋島の禿狸は当時讃岐狸族の総大将であった。彼はチャンスがあれば阿波へも勢力を伸ばそうと思っていたので、鎮十郎の願いを好機逸すべからずとして、自ら大軍を率いて清水越えの険を越えて押し寄せてきた。赤岩勢は大いに驚き、軍を返して川田麦原の居城に立てこもってこれを防いだ。
戦いは決着せず、持久戦となった。讃岐軍は陣中の憂さばらしに、毎夜芝居の真似をして兵士を慰労した。太鼓の音や鐘の音が夜ごと村に響いて村入の安眠を妨げた。農作物も荒らされ、たまりかねた村民は猟師を雇って狸退治をすることになった。たまたま西川田杵築神社境内で芝居を演じているのを知って、芝居中の人物(義経や那須与一)を目がけて撃ったが、何の手ごたえもなかった。

そこで今度は人物を狙わず、無数にともっている灯のうち目立って大きい灯に向かって発射した。手ごたえがあって太鼓・鐘の音はやみ、森は再び静寂の闇につつまれた。その後は農作物の被害もなくなったということである。
猟師が鉄砲を撃った夜の真夜中、岩津の渡し場から対岸へ渡った覆面の武士の一団があった。一丁の駕籠を囲んで去った。この一団こそ屋島の禿狸の部下で、駕籠の中は負傷した大将禿狸であった。
赤岩方も鎮十郎軍とは勝敗決まらず、合戦はうやむやのうちに終わったという話であった。


次は、赤岩将監の祠の近くに住む老婆の話である。「私がここへ嫁に来たときは、赤岩の狸はよく頼み事を聞いてくれるというのでお参りに来る人が多かった。祠は瓦の焼物で、鳥居もあり、幟も多く立っており、うどん屋も店を出し、時には広場で芝居もできた。
この将監さん、大阪へ乗り出して芝居をした。大阪道頓堀に赤岩将監の信者で、興業師をしている者がいた。ある時、芝居をしたところ大入りで、大分もうけて喜んだ。ところが、入場料金の計算をしてみると、必ず木の葉が入っていた。毎日入っているので、もしやと思い、観客が大方出てしまったところで犬を見物席へ入れた。すると、 一七、八歳の娘が隅の方へ寄り、ついに犬が追いつめてかみ伏せてしまった。よく見ると古狸が一匹死んでいた。これは赤岩狸がこの信者に福を持って来て、自分は死んでしまったのである。


この老婆の話のほかにまだ一説があって、将監は江戸へ出て立派な医者になり、諸人を助けたという話もある。


赤岩将監の祠は今は荒れ果てているが、その働きは今なお語り伝えられている。また、時には祠を尋ねてくる人もあり、祠を再建するのであれば協力したいとの申し出もある。赤岩将監をたずねて、迎坂・佐藤光一を先頭に木々をかき分け道なき道を行くこと一時間、幟を立てたであろう三本の竿を見つけた。その正面、草木の中に石で囲まれた祠があり、棲み家であろう岩の中は暗くてよくわからないが奥で左右に分かれているようだ。そして、ほこりの上の何かしら小さな足跡とそこへ通じる獣道(かやの下方にトンネルのような道があった)は今もなお将監狸の存在を感じさせるものがある。


(NPO法人 元気やまかわネットワークより)


赤岩将監の祠ですが「瓦」ではありませんでした。老婆の話の市が立つようなところとは考えにくい場所にあります。畳4枚ほどの大岩でもなく、本当にこれが赤岩将監の祠なのだろうか?うーん(゜_゜) 資料の写真とは同じですが。


・・・しかし念願叶ってお会いすることができました。


赤岩将監

徳島県吉野川市山川町赤岩 山中