狸旅記録 ~たぬたび~

狸・タヌキ・たぬきにまつわるお寺・神社・スポット・珍しいタヌキ像を中心に旅しています。狸旅の記録です。今まで作ったものの通販→ https://tanuki808.cart.fc2.com/

語彙力がないので写真中心のアップになりますが、よろしくおねがいします。写真・ブログの内容の無断転載はご遠慮ください。

分福茶釜は群馬県の茂林寺が有名ですが、神奈川県にも茶釜のお話が伝えられているお寺・東樹院があります。

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寺にお世話になった女の人に化けた狸が置いていったとされる茶釜が今も残されているそうです。女の人が書いたとされる絵は残念ながら明治17年の大火事で焼けてしまいました。

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常滑焼の狸

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港南区の民話より
和尚さんが戸を開けてみると、それはそれは若くて、美しい女の人が一人立っていました。そして、寒さにふるえながら、小さな声で言いました。
「道に迷ってしまいました。すみませんが、一晩泊めていただけませんでしょうか」
年をとった和尚さんは、かわいそうに思って、女の人を寺にあげ、温かいおかゆをたいてもてなし、泊めてあげました。
次の日の朝、その女の人は、何度も頭を下げてお礼を言い、どこかへ立ち去りました。
それから二、三日して、再びその女の人が寺に現れたのです。そして、「先日、お世話になったお礼です」と言って茶釜を差し出して、立ち去ろうとしました。その時、和尚さんは声をかけました。この女の人は、旅の途中で道に迷い、行く先や泊まる宿がないにちがいないと思い、しばらく寺にとどまるようにすすめたのです。
寺にとどまるようになった女の人は、「ご親切にむくいたくても、これ以上お礼をすることができませんから」と言って、和尚さんから筆と紙を借りて、すらすらと、絵を描きました。あんまり見事だったので、和尚さんは、すっかり見とれてしまったそうです。
 

この女の人の話は、たちまち村中にひろがり、ひょうばんとなりました。寺を訪れる人の数も増えて、すっかり親しまれるようになりました。
ところが、ある晩のこと、村の近くで、犬にかみ殺された一匹のタヌキの死骸が見つけられました。そして、そのタヌキは何と、寺の女の人と同じ着物を着ていたのです。その日から、その女の人の姿を寺でみることはありませんでした。
和尚さんは、そのタヌキをねんごろに葬りました。そして、その女の人の残した「茶釜と絵」を、寺の宝としてたいせつにすることに決めました。
残念ながらその絵は、明治十七年の大火事で焼けてしまいましたが、茶釜だけは、いまも寺に残され「文福茶釜」とよばれています。


庭内には茶釜の言い伝えとされる狸と女の人の像があります

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立派なお顔と

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たまたま (@_@;)!!

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ストリートビューで見ると何故かお顔にモザイクがかかっております(^_^;)

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お寺内には他にも狸さんが

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いきなりの訪問にもかかわらず茶釜を見せていただきありがとうございましたm(_ _)m

東樹院
神奈川県横浜市港南区笹下2丁目24-17


約1300年前に隕石が落下したことで建立されたとされている星ノ宮のお社の裏に狸さんが祀られています

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コンクリート+木製

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信楽焼とみられる狸の陶器がたくさん(✽ ゚д゚ ✽)

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楠の大木が雷で焼けた後、木の中に人助けをする賢い狸が棲み着いたことから、祀っているそうです

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由来が掲示されていました
隕石が落下して千三百年近くになると言われている。 古くからこの辺りに市が立ち、商売発祥の地でした。 この境内にあった楠の大木に雷が落ちて、焼け木の中に狸が住み着き、近くの岡田さん夫婦に聞いた話によると早朝「オバヤン、オイヤン」と声をか けるので出て見ると、表に野菜を置いてくれていて、カランコロンと下駄をならして星の宮の方へ帰って行く後姿をよく見かけたとか。 支那事変で、兵隊さんがコーリャン畑で、餓死状態になっているところへ婦人会に化けて、兵隊さんをお接待した。食べ終わって飯盆を洗ったら星の 宮と書いてあったので、隊長が皆に「星の宮を知らないか」と聞くと、寿町出身の人が「私所の近くのお宮です」と言いました。星の宮の狸は人助けをする利口 なお狸さんでした。 昭和四十五年頃まで、北内の渡辺彦吉さんと言う人が「私が星の宮を掃除していると、正さあん、遅くなると狸に化かされるといけないので帰ろわい」といっていた。 平成八年五月吉日 文責 星の宮保存委員会 会長 下川正 沼田浩夫

愛媛県新居浜市星原町4

2017年再訪
古老の話によると、お狸さんにお会いしたことがあり、一年に一回、市に来ていたそうです。


台座を含めて7.5m、高さ3.7mの御影石製の日本一大石狸の像がスポーツプラザB&Gの駐車場に鎮座しています。

で、でかー(@_@;)

台座には「交通安全」と書いてあります。

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高さ7メートル 横幅4メートル 重量32㌧
昭和59年に町内在住の方が自費を投じて建てたものだそうです。

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横から

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交通事故が多かったのでしょうか?狸さんは道路の方を向いています。
交通安全で行きたいものですね(^o^)

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愛知県西尾市志籠谷町欠添27付近



南大江公園の南西の朝日神明宮旧跡に狸坂大明神が鎮座しています。

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昔、周辺に紙屋が多く、火事を恐れて昭和41年頃から火事封じを祈願するようになりました。

また、江戸時代の初期にこの周辺に住んでいた名医が子供に化けた狸を助け、お礼にと親狸が不思議な踊りを見せてもらったという逸話があります

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朱い鳥居と祠

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毎年、5月28日に地元の住民たちで火除(よ)け祭を行い、子供たちにはお菓子も配られるそう

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大阪府大阪市中央区内本町2-3

旧東邦レーヨン徳島工場敷地内にあった源九郎狸を祀った祠が2016年3月に再建されましたヽ(=´▽`=)ノ

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新しい祠は大鵬薬品工業工場の遊歩道前(ガスト北島店の対面・県道松茂吉野線の三ツ合橋西詰め付近)に建てられました。石造りの祠(高さ1.8m奥行き1m)に人間に化けた源九郎狸の石像(50cm)が安置されています。再建は北島町商工会議所のプロジェクトだそうです。


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源九郎狸のデザインは北島町出身の漫画家・竹宮惠子さん

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祠の脇には源九郎狸の説明が彫られています

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源九郎たぬきの伝説

北島町高房周辺に住んでいた「源九郎」は、化かす才能はあるものの、おっちょこちょいで、すぐに見破られるタヌキでした。ある僧との出会いから屋島「ハゲタヌキ」への修行、そして「義経」の道案内などを行い、その中で争いを嫌い、仲間を愛して、地域を愛するタヌキへと成長していったとされています。

余談
旧東邦レーヨン徳島工場にあった頃は、居場所を奪われた源九郎の魂を鎮める為に祠が建てられました。工場を作るために開拓していたところ、よくないことが度々起こりました。古老が源九郎狸が棲んでいたところを奪ったので怒っているのだと語った為、祠を立ててお祀りしたようです。

昔の源九郎狸の祠です。鳥居もあったんですね↓

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昔と違って今は町おこしのキャラクターに抜擢されるようになりました

徳島県板野郡北島町高房
大鵬薬品工業工場敷地内遊歩道
駐車場はありません

土佐山田町にある龍河温泉の軒先の巨大狸像

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3メートルはありそうです

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日帰りで入ってきました

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あちこちタヌキ①

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あちこちタヌキ②

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あちこちタヌキ③

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温泉たぬきの話

むかし、年老いた母親の面倒を見ていたタカシどんという青年がいました。籔の中にタヌキの親子が住んでいて村人に可愛がられていました。タヌキはタカシドンを不憫に思い、籔の中まで連れてきました。

「ここ掘れタヌタヌ」

タカシドンが籔を掘ったところ、温泉が湧き出してきました。それからタカシドンは温泉旅館を営み、幸せに暮らしたそうな

龍河温泉
高知県香美市土佐山田町佐古薮430-1

青梅七福神めぐりのコースにもなっている明白院

山門(安土桃山時代の形式)は青梅市重要文化財に指定されています

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山門をくぐって左側に俵を担いだ狸の石像があります

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足元にも狸の置物

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俵を担いでいる狸の置物

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生福の狸

その昔、時の和尚さんがある寒い冬の夜中に庫裡(お寺の台所)の押入れでネズミの走り回る音の目が覚めました。そっと押入れの戸を開けてみるとネズミが三匹、米びつに穴をあけお米を貪るように食べていました。
そのような事が三日三晩続き、翌晩は何の音もしなくなったので押入れを調べると、天井に狸の屍があり、その周りには沢山のお米と小さな黒い塊が三つありました。よくみると福禄寿の御像でした。
そこで和尚さんは思いました。「あの三匹のネズミは福禄寿尊の化身で病気の狸の世話をしたのに違いない…」と考え、鄭重に福禄寿尊を祀り、米俵を担いだ狸の石像を庭に建立し供養すると共に「生福の狸」と名付け参詣者に福が授かるように祈願したということです。 (明白院 縁起より)

俵を担いだ狸像は寺務所でお尋ねしたところ授与されているということでお譲り頂きました。普段はお正月の時だけだそうです。

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曹洞宗日向山 明白院
東京都青梅市日向和田2丁目395
宮ノ平駅から徒歩6分
駐車場あり

台東区根岸にある西蔵院境外仏堂不動堂

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境内に狸塚

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 落語中興の祖、名人といわれた三遊亭円朝(1839 年~1900年) が書き上げた「根岸お行の松 因果塚の由来」に因んで不動堂の運営に当っていた地元の有志がシャレで作りました。

昭和60年、講の集まりに志ん生、円生の『お若伊之助』のテープを持ち込んだ人がいて、せっかくこういう噺があるんだから塚を作ってしまおうと意見一致。塚作成案から5年後の平成2年5月28日、不動堂の境内に紅白の幕を張って、「狸塚再建披露式」が行われました。因果塚だとイメージが暗いので狸塚にし、再建と銘打ったのは、江戸時代にあった長い歳月の間に失われ、再建したという思い入れから。落語が実話になりました。塚は秩父の赤玉の高さ70cmの自然石で、となりに御影石の夫婦狸を配置されました。

御影石を彫った夫婦狸

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根岸お行の松 因果塚の由来

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噺は、日本橋横山町栄屋という生薬屋に一人娘のお若、年が18で栄屋小町と評判の美人。今までお稽古事はいろいろやらせてもらったがまだ一中筋を習ったことがないので習いたいという。そこで町内の鳶頭に組の初五郎の口利きで、菅野伊の助という師匠にお稽古にきてもらえるようになった

ところがこの伊の助、年が26でめっぽういい男。いつしか二人はいい仲になってしまう。これに気付いたお若の母親は頭を呼び30両を伊の助に与え手を切ってもらう。そとてお若は根岸のお行の松のそばで剣術の道場を開いている伯父の長尾一角の家に預けられる。

お若は伊の助に逢いたい逢いたいと思い焦がれながらある日庭を眺めていると、垣根の向こうに立っているのはまぎれもない恋しい伊の助。それから毎夜、ひそかに逢い引きを重ねているうちにお若は妊娠をする。

それに気付いた一角が頭を呼び、昨夜も伊の助が忍んでまいったが、手切れ金の30両は間違いなく伊の助にわたったであろうな、と確かめられる。カッとなった頭はすぐに両国の伊の助の家にとんでいって詰問するが伊の助から逆に(ゆうべは頭と一緒に吉原で遊んでいたじゃありませんか)とやりこまれ、頭はまた根岸へとんでかえり訳を話すが一角に(お前が酔って寝ている間に伊の助がカゴで根岸と吉原を往復したのではないか)といわれ、また両国へとんでいく。(ゆうべは二人で飲み明かしたじゃありませんか)といわれ訳がわからなくなる。

さてはと一角、その夜忍んできた伊の助を種子島銃で撃ち殺す。ところが殺されたのは大きな狸であった。あまりにもお若が伊の助を恋しがるので年経た狸がたぶらかしにきたのであった。やがて日が経ちお若は狸の双子を生む。これを葬って立てたのがお行の松のほとりの因果塚である

(現地由来板より)

御行の松不動尊 狸塚
東京都台東区根岸4丁目9-5
入谷駅から徒歩10分、日暮里駅から徒歩11分

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